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ふと、名前を呼ばれたような感覚がありヴォルフは目を覚ました。
腕の中で眠るダリヤを起こさないように注意しながら体を起こしながら、すがるように腰に絡まるダリヤの細い腕にはまる己の色の腕輪に目を細める。所有権を主張する、男の独占欲を具現化した腕輪には満足感しかないが、そんな良い気分を不穏な空気が邪魔をする。
「…何だ?」
麻痺効果のある布に巻かれたようなピリピリした感覚と微かな敵意。しかし悪意は感じず、応戦すべきか対応に困っているとドアの近くの魔導ランプに灯りがつく。火の魔石を使ったランプ、いくら石造りの塔でも火事は危険とベッドを降りて扉近くまで行けば、
「ドライヤーの、音?」
風魔法が起こした風とは違う機械的な音は四階から聞こえた。四階と言えば客間のある部屋、しかし元はダリヤの父・カルロの部屋ではなかったか。
ヴォルフの頭に大量の姿絵、いまはヴォルフの自宅の秘密の本棚にみっちりと収まった【遺産】が浮かぶ。「まさか」と「きっと」、希望と困惑を混ぜた頭で階段を昇ると部屋の扉が開いていて、
『お初にお目にかかります、カルロ・ロセッティと申します』
あげた顔で輝く緑の瞳は、ダリヤが妖精結晶越しに見せてくれたものと似ていて、
「初めまして、ヴォルフレート・スカルファロットと申します。お会いできて、本当に嬉しく思います。 早速ですが、お嬢様と結婚の約束をしましたので御許しをいただけますか?」
『愛し守ると誓った娘を突然放り出した不肖の父親に今さら許すも何もありません。儚い身となった上では娘の幸せを願うだけ、スカルファロット様、どうぞ娘をよろしくお願いいたします』
「どうぞ、”ヴォルフ”と。偶然ではありますが【遺産】を継いだ身、息子のように接していただけると嬉しいです」
予想以上に上手くいったと満足するヴォルフの、満足げに続いた言葉にカルロは楽しそうに笑った。
『それではヴォルフ様、と。遺産についても御礼申し上げます。私の半生かけて集めた、まあ一部はダリヤに焼き捨てられましたが、自慢の品でしたから』
「確かに、うっかり手を止めて見入りそうなものも何点もありました。絶対にダリヤに知られるわけにはいきませんが」
『私もテリーザに、あのときのダリヤのような目を向けられたら穴を掘って飛び込みたくなります』
”テリーザ”
ダリヤの話や兄侯爵から渡された調査書に書かれていたダリヤの母の名前。カルロが一人でダリヤを育てた事実と、ダリヤの話から、てっきりカルロを捨てた女性とイメージしていたが、その名を呼ぶカルロの声は娘の名を紡ぐ音と同じ愛しさが滲んでいた。
「ダリヤとあなたは目が似ていますが、母君とはどこが似ていますか?ダリヤからは髪の色が同じくらいしか聞いていなくて」
『周囲には私似といわれますが、ふとした仕草や言動には何度もハッとさせられました。お陰で姿絵の件は大分堪えましたよ。いつか娘が女の子を生んで、貴方がいつか同じ目に遇うことを願っております』
「では、ダリヤには息子を生んでもらって、早々に【遺産】にしなくてはいけませんね」
『それは楽しみですね』
”楽しみ”という言葉とは裏腹に、カルロが何かに苦しむような表情をしたことにヴォルフは首を傾げた。そんなヴォルフの様子に気を留めず、カルロは口を開いては戸惑うように閉口し、それを数回繰り返した後は真剣な目でヴォルフと対峙した。
「ヴォルフ様、娘が子を産むとき、もし頭痛がするなど異常が見られましたら必ず、『大丈夫』という娘の言葉は無視して直ぐに神殿で治療を、どうかダリヤを守ってください』
「…カルロ殿?」
『私は彼女を守る力がなかった。 死んでもなお未練となるほど、あのときの我が身の力のなさを悔いております。 貴方は、そしてダリヤも、私よりとても長い腕をお持ちだ。だから、どうかそのときは宜しくお願いします』
「分かりました。 出産に係らずダリヤに何か異常があったら、危険がせまったら、俺は俺の持ちうるすべてを賭けてダリヤを守ります」
『娘を、よろしくお願いいたします』
満足したような笑みを浮かべたカルロの姿が薄れる。思わずヴォルフが腕を伸ばすとその手はカルロに触れることなく宙をかき、その指先からスルスルスルッと紅花詰草が伸びてきて
「…夢?」
視界に広がったのは、今ではもう見慣れたダリヤの寝室の天井。顔を横に向ければ、寄り添って眠る愛おしい人。
首を巡らせて入口付近の魔導ランタンを見れば灯りはついていなかった。
「赤を基調にした花束を作ってもらって、毎年よいワインを赤と白1本ずつ持って墓参りにいかないと」
まるでヴォルフの言葉を聞いていたように、壁のランタンが朝日を受けてきらりと光った。
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