シティーハンターの二次小説で、獠と香は恋人同士です(奥多摩後)。
タイトルの『水海月』(みずくらげ)は波間で漂う白いビニール袋のような無毒なクラゲのことです。
水くらげのように、あっちへフラフラ、こっちへフラフラする獠に不安になる香をイメージして作りました。
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「…冴羽さん」
僚を呼ぶ依頼人の女性の声音に香は『感謝』以外のものを感じ、無意識に1メートルほど僚と依頼人の間から距離をとる寸前に見た赤く染まった艶やかな頬。
(…また、か)
香にとって珍しい光景ではなかった。最初は怪訝で、次に迷惑そうな顔で僚を見ていた女性の依頼人の多くは依頼を終了するまでに僚に恋に堕ちる。
(これも”ギャップ萌え”、なのかな)
それはそうだ。表の社会で生きてきたまっとうな人間にとって僚のような男は馴染みがない。「スイーパー(掃除屋)です」なんて自己紹介が通じることはまずない。そこに加えて僚の彼女たちへの、公序良俗そのものな接し方も問題だ。
当然彼女たちは初めの頃は僚を邪険にするが、しばらくすると僚をはねのけていた手が誘うように艶やかに僚に触れはじめる。その合図に気づかないほど僚が鈍くないことを香は知っている。
ほんの一瞬だけ自分に向いた僚の目から視線をそらす。僚の目に映るものを知りたくなかったから、香は逃げるように砂浜を駆ける。
「…美樹さんっ!」
逃亡先は数メートル離れた位置で武器を回収していた海坊主の傍にいる美樹のもと。足元は走りにくい砂浜で、香はいつもの何倍もかけて美樹の元に向かった。ほんの数メートルだけど、向かい風で吹く浜風のおかげで僚と彼女の声は香のもとに届かなくなった。
気にならない、と言ったら嘘になる。
知りたくないわけではない。
心に広がるこのドロッとした淀みが嫉妬だと香は知っている。何しろ今までも今も僚に味あわされている。その熱さも苦味も熟知している。
そして香は知った。世の男性にはいろいろな種類がいて、その中で「遊びでも良いから」と女に思わせる男がいる。そんな男は極一握りの稀有な存在だが、生憎と僚はその種の男に分類されるのだろうと香は感じていた。
そんな僚の魅力の1つに、捕まえたと思ってもするりと逃げられるところがある。僚は女に縛り留められるような男ではなかった。手に入らないものほど人の興味や闘志を掻きたてるものではない。
「まるでクラゲみたいね」
突拍子もないことを言う香に「足元にいたの?」と美樹は聞く。波間で香はクラゲを見つけたのだろう、と薄暗くなりつつある海を見る美樹の傍に立つ海坊主がくいっと親指である方向を指し示す。
「クラゲならあそこにいるだろう」「ああ、なるほど…」
相変わらずねぇ、と笑う美樹に香は曖昧に笑い返しながら、その笑顔の裏側で必死に心の奥底に妬心を隠す。嫉妬しているなんて、誰にも知られたくなかった。
(僚を縛るなんて…身の程知らずもいいとこね)
そんな願望は誰にも見られないように、誰にも触れられないようにしっかりと心の奥底に沈める。そう、浪間を漂うクラゲには決して行きつけない深い深いところに沈めるのだ。
「香」
「…海坊主さん?」
名前を呼ばれて香が海坊主を見ると
「クラゲでも浜にあがっちまうやつがいるだろう。砂浜にビニールごみみたいにな。何で浜にあがったかは分からん、ただソイツがバカでドジで間抜けだったからかもしれないがな…クラゲが望んで留まったからかもしれんだろう」
「あーに、話てんのぉ?」
香の心に何かが染み込もうととしたとき割り込んできた僚の声。驚く香に僚はニッと笑って香には何も言わず、代わりに海坊主に向き合って
「海坊主、彼女を近くの駅まで送ってやってくれないか?」
「わかった」
阿吽の呼吸で海坊主の意図を察した美樹は「はいはい」と肩を竦め、最後の武器を積み込み終えると颯爽とジープの運転席に乗り込み
「それじゃ」
寡黙な夫に代わって軽快に挨拶すると砂を巻き上げながら浜辺を疾走していく。香の視線の先でジープがとまり、数言交わされた後にペコリと依頼人の女性は香と僚に向かって頭を下げた、
「…良いの?」
「何言ってんだ、”あれ”をどうにかしないといかんだろう」
僚の指さした”あれ”とは砂浜に転がっている赤いミニ。浚われた依頼人を追いかけるためミニを駆り、後先考えないで勢いのまま砂浜に突っ込んでそのまま。
「…忘れてた」
「俺の愛車を忘れんなよ!お前がやったんだぞ!?」
「まあまあ、洗車代は経費で落とすから」
当たり前だと僚は香を睨み、スマホで馴染みの自動車工場に連絡してレッカー車を要請する。「またやったんかい?」と笑う声が僚のスマホから漏れ聞こえた。
「別件があるからここに来るまで3時間はかかるってよ」
「どこかで時間潰すしかないわね」
「潰すってどこでだよ?海しかないだろうが」
僚はため息を吐き
「車がありゃどこでも好きなところに行けるのによ」
僚にそんなつもりはなかったかもしれないが、『どこでも好きなところに行ける』という僚の言葉に香の体は強張った。思わず滲みそうになる涙を隠す為、気丈に平然を装うとするから
「置いてどこかに行っちゃえばいいじゃない」
心にもない、否、心の奥底に沈めたはずの不安がちらりと顔をのぞかせて言葉となって風にのる。そんな香の言葉に僚は驚いた顔。
「車はどうすんだよ。ないと不便だろ?」
「すぐに次が見つかるでしょ?」
「…まあ、そうだけどよぉ」なんて僚が言うから、自分で振っておきながら
香の心の海がゆらゆら揺れる。あまりにも荒ぶるから、奥底に沈めたものがぷかぷかと浮かび上がり、軽い衝撃でパカッとフタを開ける。
「…捨てないで」
嫌われたくなくて、幻滅されたくて。僚に向かって言えなかった言葉が風に乗った。自然と漏れた漏れた本音に香は慌てて口をふさぐも後のまつり。せめてもの悪あがきで香は俯き、僚の視線から逃げた。耳に届く呆れたような僚のため息に香の身体がビクリと強張るものの
「後悔するくらいなら…んなこと、言うなって」
再び香の耳を叩く僚の深いため息。
「置いて行けって言ったり、捨てるなって言ったり……まったく。ちゃんと持って帰るよ、レッカーだって頼んだし」
安心しろ、と僚は香の肩に手を置く。車のことだったのね、と本心がばれてなかったぽいことに香の体からストンと力が抜ける。その瞬間を見逃さず、僚の太くて長い腕が香の背中に伸び、二の腕の筋肉が盛り上がった瞬間に香の体は僚の腕に抱きしめられる。
「バカなこと言ってんなよ……愛してんだから、よ」
車のことを言っているにしても、一瞬言い淀んだことで香としては「もしかして」が浮かび全身が心臓になったようにドクドクと熱くなる。ここで頬を火照らせて自意識過剰と言われたら立つ瀬も浮かぶ瀬もないと香は僚の腕から抜け出して
「あ! あっちに灯りが見える!行ってみよう!」
そういって僚を置いて砂浜を駆けていく。そんな香の背中を僚は優しい瞳で見つめ
「…捨てるわけないだろうが」
下らない心配して柄でもないことを言わせて、と僚は照れを散らすように髪をガリガリと掻いて
(…しっかし、”灯り”って)
香からは灯りがついていることしか解らなかっただろうが、僚の背の高さならそれが大人の休憩所だと解かる。
「頑張ったんだから”ご休憩”くらい赦されるよな」
うん、と一人頷いた僚は自ら食べられようとしている獲物の後を弾む足取りで追いかけた。
END
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