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「最初の男と最後の女、かぁ」
ワインによる緩やかな酔いに身をまかせ、やや浮かれた足取りで香は帰路に着く。黒服のひとりが香を送るとママに訴えたが、ママは「直ぐに来るから大丈夫よ」と笑って香を見送った。
店を出て数分も経たず、香は腕が引っ張られて薄暗い路地に引き込まれたが、香に恐怖はなかった。
二の腕を掴んだ大きな手も、路地に引っ張り込む力強さも、ぶつかった硬い胸から漂う独特なにおいも、香はよく知っていたから。
「獠、来てくれたんだ」
「通り道だったから、ついでだ」
ぶっきら棒な獠のセリフに、予定より帰宅の遅い自分を獠が心配したことはお見通しと香はふふふっと笑う。その笑みが悔しくて、意趣返しと獠はやや強引に唇を重ねる。
「酒臭ぇ…どんだけ飲んでんだ」
「少し酔っただけよ」
交えた吐息から漂うワインの濃い香りに獠が呆れれば、本人が思うより遥かに酔った香が獠の腕に自分の腕をするりと絡める。
人前で触れ合うことに羞恥する香の珍しい行動に獠はわずかに目を瞠り、上気してやや紅色に色づく頬をした香に軽く舌を打つ。
「こっちから帰るぞ」
人のいる明るい通りに向かおうとした香を引っ張って、より暗い裏路地の奥に進んだ。
「とうちゃーく、っと」
リビングのソファにぼふんっとダイビングするご機嫌な香に獠は喉の奥で笑い、キッチンでコップに水を注ぎ香のもとにいく。
「飲んどけ、明日つれえぞ」
礼をいって体を起こし、コップを傾けて香は水を飲む。塗った口紅は呑んでいるときにとれたのか、いまは無垢な唇が水に濡れて艶やかに光り、香の無意識な色気はいつも獠を煽る。
「大丈夫そうだな」
「うん……うん?」
照明の灯りを遮られ、影になった獠の腕の檻の中で首を傾げる香の顎に手を添えて、少し上向かせて唇を重ねようとした獠だったが
「ねえ…」
「…ん?」
「獠の『最初の女』ってどんな人?」
「…それ、いま聞くことか?」
明日の天気を訊く様なさり気なさでも内容はメガトン級の重さ、始まりかけた男女の夜への急ブレーキに獠は胡乱気な目を向ける。
「珍しい、香ちゃんが俺のその手の過去を訊きたがるのって」
「言いたくないならいいのよ?」
「あん?」
「別に気にしているわけじゃないから。 今日お店でそんな話になったから、好奇心」
嫉妬心かと思っていささか喜んだ分だけ香の返答に獠はがっくりし
「…それなら後にしてくれ」
香の返答を聞くことなく、獠は香に唇に強く自分の唇を押し当てた。
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