シティーハンターのリョウ×香で原作終了後(奥多摩後)です。
本作品は「僚」の字を採用しています。
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「もう朝よ、いい加減起きて」
僚の1日は香の声から始まる。呆れたような声だって僚には朝の心地よいBGMでしかない。スリッパが寝室の床を叩く音。カーテンが軽快に開き、続いて窓のガラスが開く音。とたんに静寂が破られ、遠くから都会の喧騒が入り込む。
「良い天気よ。洗濯するんだからさっさと起きてね」
僚としては良い天気でも悪い天気でも別にいい。『春眠暁を覚えず』。惰眠ほど心地よく、かつ贅沢なものはない。
「あと5分」
「そう言って1時間は平気で寝るじゃない」
くすくす笑いながら香が部屋を出て行くのをシーツに埋もれながら感じ取る。体は惰眠を欲するのに、目を覚ました感覚が長年の習慣で僚の体からまどろみを一気に追い払う。
僚の視覚が感知するのは閉じたまぶたを透過してくる春の陽射し。僚の聴覚が追っかけるのは香が立てる生活の音。
(ん?)
僚の嗅覚を刺激したのは排気ガスの臭いと、香の匂いと、桃の薫り。色々なニオイを掻い潜って僚の鼻腔をつく桃の花の薫りは窓から入り込んできて、普段ならさほど気に留めない儚げなニオイが不思議なほど僚の勘に触った。
(…!)
僚の鋭い感覚をピリッと刺激したのは僚のテリトリーに踏み込む侵入者。どんどん近づいてくるその気配はひどく軟派。
僚の閉じたまつ毛が不機嫌そうに動き、もそりと起き上がると「起きるか」と誰に告げるわけでもない一言。未だ少し痺れが残る腕を回して、首をコキコキッと鳴らして廊下に出てリビングに向かう途中で玄関の扉を開けて
「よお」
「…お早い御目覚めだねえ」
扉の前に立っていたのは軟派な隣人。僚の元相棒の似非エンジェル、ミックだった。ミックはチャイムを押す予定だった人差し指を下ろして微笑む。ハリウッド俳優並の美形の笑顔だったが、僚にとっては全く価値がなかった。
「何しに来た」
「朝から不機嫌だね。春のおすそわけ、カオリにね」
どうだ、とばかりにミックが僚に見せたのは両手に抱える大量の桃の花。桃色の花と蕾がわんさか付いている。『それを置いて帰れ』と僚が奪い取る前にミックの顔がパッと満面の笑顔になる。笑顔の送り先は僚の肩越しに現れた香、ミックの最愛の女神様。
「ミック、こんな朝からどうしたの?」
「カオリに春を持ってきたんだ」
両手がふさがっているのを口実にしてミックは些か強く僚にボディアタックを見まい、開いたスペースから体をもぐりこませて僚を躱し香と対面する。この瞬く間に革靴を脱いでいるからスゴイ。
「立派な桃の花ね」
「教授のところからカズエがもらってきたんだ、うちにはこの倍あるよ」
「部屋の中は桃の香りしかしない」と苦笑しながらぼやくミックの言葉に、僚は窓から迷い込んできた桃の香りの原因が分かった。そして、僚の寝室の窓から入り込んだ桃の薫りが勘に触った理由も明確になった。
「コーヒーで良い?かずえさんは?」
「もちろん♪ 嗚呼、カオリは俺のエンジェルだよ。マイ・ハニーは桃の薫りを残して教授のところにとんぼ返りさ」
「それじゃあ朝ごはんも食べてく?」
「朝からカオリの手料理を食べられるなんて幸せだよ」
(な~に言ってやがる、それも目的で来たくせに)
『帰れ』と僚はミックを追い払おうとしたが、「一人の食事は寂しいもんね」という香に言葉に口を閉じる。香の瞳にちらりと亡き兄を想う光がきらめいたから。
「嗚呼、桃の花越しに見るカオリは仙女の様だよ」
(……気に食わねえのは変わらねえけどな)
春そのものである桃の花と、桃の果実のように甘ったるいアメリカ男の褒め言葉に香が嬉しそうに笑うから僚の機嫌は急降下した。
「ご飯にしよう」
羽衣の代わりに香がふわりと纏うのはヒヨコが描かれた可愛いらしいエプロン。「とりあえず」と言った香は脱衣所から持ってきたバケツに水を張り桃の枝を投入する。
春の柔らかい陽射し。香り立つ桃の花。美しい女と端正な顔をした逞しい男二人が楽しそうに語らう。それはまるで理想郷を描いた一枚の絵画のよう………だが
「カオリが俺のために朝食を作ってくれるなんて桃源郷にいるようだ」
「そういや中国から新宿に可愛い蝶が入ったって聴いたぞ」
「早耳だな。明後日デビューする『華僑』の新人だよ」
音声が入れば絵画は一瞬で瓦解する。穢れ無き仙界とは程遠い俗世に染まりきった男たちはキャバ嬢の話で盛り上がる。
「この男共は……ほら、ご飯。温かいうちに食べてね」
俗世まみれの男共に呆れつつも、慈悲深い仙女は手慣れた動きで料理をのせた食器をテーブルの上に並べていく。
「Wow!とっても美味しそうだ、ありがとうカオリ」
典型的なアメリカ人のミック。絶対に褒め言葉を欠かさない。香に向けた笑顔は香が背を向けたときに消え、目の前で既に食べ始めた僚に呆れたような目を向けて、「お前も何か言えばいいのに」と言いながら湯気を立てるハムエッグにフォークを突き立てた。
「キレイな女と美味い飯。お前は三国一の幸せもんなんだぞ」
僚に文句を言いつつ、何か口にするたびに香に褒め言葉を投げかけるミック。その間も食べるのは止まらない。1つの口で3つのことを器用にやってのける元相棒と、男の言葉に頬を染めて嬉しそうな現相棒。
(朝っぱらからこんな光景を見せられて幸せもんか?)
『嫌なら素直になれ』と元仇敵の光る禿げ頭が脳裏に浮かんだ僚は首を横に振り、三国一の天邪鬼は用意された朝食を平らげると一息吐いた。
「お前…もっと味わって食えよ」
「うるせえ…………香、灰皿はどこ?」
「洗ったからシンクの横にあるわよ。コーヒー入れるわ」
よっと声を上げ立ち上がった僚の後を香がついていく。いままさに着こうとしたテーブルで湯気を立てる自分の分の朝食に手を付けることなく立ち上がり、煙草とコーヒーという自分の習慣を知って行動してくれる香に僚の心がほかっと温かくなり
「…ああ、サンキュ」
礼を言った僚への香の返事は驚くように見開かれた大きな瞳。こんな反応に僚としては照れくさいやら、腹立たしいやら。バケツに活けられた大量の桃の花が目に入ったから
「俺も花束もって礼を言うべきかな」
「僚ったら」
少しふて腐れた僚の声音が珍しくて、面白くて香はクスクス笑う。春の陽光を浴びて微笑む姿はミックの言う通り仙女のようだと思う。僚の腕の中で昨夜舞った香は確かに人間の女だったのに、その妖艶な陰りは完全に消え失せている。この笑顔は幼女の様にさえ見えるから女はそら恐ろしい、と僚は苦笑して
「香ちゃんは甘いものの方がいいかね」
「僚が!? あ、それなら」
そういって香がカウンターの上からとったのは新宿の情報誌。「これ食べたい」といって見せたページには新宿の街の一角にある人気のパティスリー。何が美味しいらしいとか、嬉々として説明する香はピタッと僚にくっついていて
(……おいおい)
普段人前で香が僚にくっつくことはない。それなのに突然パーソナルスペース0にした香に僚は呆れつつ、珍しく甘える仕草に嬉しくなりつつ
「わあった、わあった、買ってきてやるよ」
ニヤニヤにやけるミックの視線が僚の気に障るから適当に切り上げてリビングに戻る。僚としては素知らぬ振りだが、喫煙をすっかり忘れているヘビースモーカーの僚の態度は照れ隠しだとミックには丸解かり。
「Your personality changes when she is involved. So cute!(香が関わると人が変わるな、お前。とても可愛いよ)」
「Shut up(黙れ)」
「But she seems to be easily fooled. If I give her a candy, I’ll get a kiss thank you. I want a hot kiss.(しかし簡単に騙されそうだな。俺が彼女にお菓子をあげればお礼のキスをもらえるかな。熱いキスが欲しいよ)」
ミックの言葉に僚のこめかみがピクッと揺れたとき、タイミングよく香が「何をしゃべっているの?」なんて言いながらひょっこり顔を出す。
「はい、コーヒー。熱いから気をつけ……うわっ!?」
ぐいっと手を引かれたと香が驚いた瞬間には両頬に大きな手の感触。陽光が煌めいてた香の視界が暗くなると重なってきた僚の唇に香は驚いて見開いていた瞳をさらに大きくする。それはそれは、ぶっちゅ~~と効果音が聴こえてきそうな熱いキス。
「お礼は先にもらってやっから、俺以外に騙されんじゃねえぞ!」
足音荒くリビングを出て行った僚。残されたのは真っ赤な顔でぽかんと口を開けて立ち尽くす香と、クックッと肩を震わせて笑うミック。次の瞬間、階上から銃が火を噴く音がしてミックの鼻先に着弾する。
「Go home quickly(さっさと帰れ)」
「…まず『警告』がルールだろうが」
呆れたニックは「ごちそうさま」と香に告げて、大笑いしながら立ち去った。行先は自分の家…ではなく、話し相手に事欠かない行きつけの喫茶店。その日のキャッツは二人の話題に花が咲いた。
END
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