有閑倶楽部の二次小説で清四郎→悠理です。
本サイトの清四郎は医者にならず剣菱財閥に入社(豊作付き)、悠理も剣菱財閥に入社している設定です。
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月の裏を見ることが出来ないように
人間の全てを理解することは出来ない
清四郎が呆れた顔を隠さずに調合した胃薬を悠理に渡すと
「甘くしてある?」
「ああ、忘れてました」
「その笑顔は嘘だろ」と清四郎の答えに悠理は嫌そうに顔をゆがめつつも薬包紙を開く。どんなに苦かろうと、清四郎の薬の効き目は悠理の体が覚えている。楽になりたければ飲むしかない。
「ゲーーー……今度は甘くしてくれよな」
「忘れなかったら」
「その笑顔も絶対嘘だろ」とミネラルウォーターで一気に薬を流し込んだ悠理。そのふわふわの頭を撫でながら清四郎は溜息をつく。
「全く…いい年してバカスカ注文したんでしょう」
「だって美味いって評判の店だったし」
即効性のある薬でも瞬時に効くわけが無い。膨張感と薬の苦味に耐えかねて机に突っ伏す悠理の話し相手を清四郎は買って出る。
「で、美味しかったんですか?」
「全然。なあ、口直しにまたあの店連れてってくれよ」
悠理が言っている店に検討をつけた清四郎は本当の笑顔で頷く。
「やった!じゃあ…来週の予定を確認しといて」
「僕の方は大丈夫だと思いますが…悠理は会食がありませんでした?」
「ふける!………だってさぁ」
怒られると判断した悠理は直ぐにサボタージュの理由を言う。
「あいつの連れてく店って美味くないんだよ」
「でも評判の良い店ばかりですよ?」
「誰が美味いって言ってもあたいが美味いかどうかが問題だろうが」
「ま、正論ですね」
『100人中99人が美味いと言っても自分が不味ければそこは不味い店』。味覚障害とか味音痴とか、そう言う心配が湧くこともあるが、それに悠理は当てはまらないことを清四郎は知っている。
「悠理は舌が肥えてますからねぇ」
容量はでかく消化スピードも速い頑丈な胃袋。潤沢な資金。お陰で悠理は幼い頃から美味いものには事欠かなかった。
「成人病にならなくて良かったですねぇ」
山のような砂糖も、バターの塊も、雪のように降りかかった塩もなんのその。
「新陳代謝がいいんだよ」
自慢げな悠理に清四郎は苦笑する。何と言っても大の男の自分よりも食べる悠理。幸せそうにバクバク食べる悠理の姿を見ながら適当に箸を動かすのが清四郎の食事法だった。
「そこまで舌が肥えてるなら自分で作ってみればいいのに」
それは何気なく言ったものだった。ただの思いつき、気の迷いとさえ言っていいレベルの妄言。何しろ可憐や野梨子と違って悠理の台所に立つ姿など清四郎には想像もつかない。
だから清四郎にしては珍しく自分の言ったことを忘れていた。
「何か…すごく甘い香りがしませんか?」
豊作に食事に招かれた清四郎。ここ数か月仕事が忙しくて、剣菱邸に来るのも久しぶりだった。
「最近ずっとこうなんだよ」「また悠理が何か無理難題を言ったんですか?」
広い屋敷中に広がる甘いバニラの香り。清四郎の頭に浮かんだのは海のようなカスタードクリームと山の様にそびえたつプリン。
「清四郎君は甘いのダメだっけ?」「少しなら食べれますけど」
「それじゃあ食後にちょっと出すようお願いしとくね」「あ……はい」
記憶が確かなら豊作も余り甘いものを好まないはず。疲れているのだと判断した清四郎はもう少し豊作の仕事量を減らそうと考えた。仕事半分、プライベート半分の構成で会話を楽しみながら食事を終えると、所用といって席を外す豊作と入れ替わりに悠理が現れた。
「お邪魔しているよ」
「うん、兄ちゃんから聞いてたから」
嬉しそうに席に着く悠理。その後ろからワゴンを押したメイドが続く。ワゴンの上に並ぶのは清四郎の予想通りカスタードのオンパレード。プリン、シュークリーム、そしてエクレア。
「好きなの食べてよ」
「ありがとうございます」
悠理の笑顔に誘われていつもより多めに甘いものを皿に取る清四郎とは反対に、ニコニコと清四郎の手元を見ている悠理。いつもなら自分より先にワゴンにかじりつく悠理の意外な行動に清四郎が首をかしげたが
「いいの、食べて」
「ああ、はい」
子どものように先を急かす悠理に笑い清四郎はプリンに口を付けた。予想より控えめの甘さにほうっと息を吐いて2口目へと続く。
「ほう…美味しいですね」
「だろ?」
満面の笑顔の悠理をみて余程悠理の贔屓の店だと清四郎は思った。今度何かあったら悠理の差し入れにしようと思って店の名前を訊ねたら
「あたいが作った」
意外な返事に清四郎の耳が機能を失いつつも、優秀な脳はカタカタと過去のことを思い浮かべ『自分で作ってみればいいのに』と言ったことを思い出した。思い出した、が信じられなかった。
言っちゃ悪いが悠理はガサツなタイプ。細やかな作業を伴うお菓子作りなど不向きのはずだった。
「あたいだってやるときやるんだってば」
帰るときになっても惚けてる清四郎に、悠理は屋敷の正門まで清四郎を送りながら膨れた。
「ええ…本当に驚きました」
えらい、えらい昔の癖で頭を撫でようとしたが、「やっぱりバカにしてんだろ」と悠理が避けたので清四郎の手は宙をきった。
「あたいにだって清四郎が未だ知らないことがあるんだぞ?」
そう言って月を背に微笑む悠理。その中性的な雰囲気も手伝って、見知らぬ人のように見えた清四郎は不意に不安になった。
清四郎は悠理の幼馴染。孫悟空とお釈迦様と揶揄されるほどに悠理のことをよく知っていて、今までの過去と想い出は他の男とのアドバンテージだった。しかしここで、こんな些細なことでも知らないことがあったことに、清四郎は優位な気持ちがパッと消えてしまった気がして
「そうなんでしょうね」
不安が絡む喉でやっと言葉を紡ぐと、清四郎の気持ちなんてこれっぽっちも分からない悠理は「例えば」と人差し指を唇に当てる。何も塗られていない無垢な唇が月光に煌めいて、その姿がやけに艶やかで、清四郎は無意識にゴクリと唾を飲んだ。
「例えば今日のあたいのお昼ごはん。何食べたか分かる?」
妖しげな色気に誘われて脳に甘い霞がかかっていたから、清四郎は悠理の言葉が最初理解できなかった。そして理解できたら、安堵と残念感に襲われる。実にいつもの悠理らしい例えである。
「どうだ、知らないだろ?」
勝ち誇った悠理の顔を縁取る、甘いバニラの香りがする色素の薄いふわふわの髪 。
「そうですね、知りません」
「ほーらね」
ころころと表情を変える悠理。嬉しそうな顔。勝ち誇った顔。そして月の影が時折作る美しい女の顔。
「まだまだですけどね」
まだ時期じゃない清四郎はそう悟ってため息を吐く。
「何だよー、何が”まだまだ”なんだよー」
「そういって訊ねるところがまだまだです」
未だ早い
「悠理も僕のことが分ってませんね」
「ん?知ってるぞ」
間髪いれない悠理の言葉に苦笑する。
「お前は僕の裏側を知りませんよ」
「真っ黒なことは知ってるぞ」
「…さあ、どうでしょうね」
苦笑して清四郎は空を見上げた あと少しで満月になる月僅かに欠けた黒い部分が挑むように少し揺れた気がした。
END
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