ガラスの仮面の二次小説です。
紅天女はマヤが獲得し、正式に大都芸能に所属して女優として活躍。マヤと真澄は苦難を乗り越え恋人同士ですが、公にはなっていないという設定です。
タイトルの『嫦娥』は中国の神話に登場する月の女神または天女の名前で 、『スウヰントン氏第五読本直訳』では”Moon-Maiden”(直訳すると「月の乙女」)と表現されます。
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「皆さん、やけにソワソワしてませんか?」
いつもよりざわついているスタジオにマヤが首を傾げると、傍にいた女性スタッフが「これから速水社長が視察にいらっしゃるって」と教えてくれた。
一部を除く周囲には内緒だが速水真澄はマヤの恋人。いくつもの障害を乗り越えて結ばれた魂の片割れだった。マネージャーに適当な理由を言って楽屋に戻り真澄に手早くメッセージを送れば
『我慢の限界だ。大都一の女優の陣中見舞いってことでようやく君に逢いにいく許可をもらえた』
「仕方ない」とため息を吐く水城の顔が頭に浮かんだマヤは(どっちが社長なんだか)と思って笑ってしまったが
『あと3日会えなかったら社長室に押しかけるとこでしたよ』
突撃!と書かれたスタンプを送ってスマホを閉じ、業界の大物の登場に慌てふためくスタジオに軽い足取りで戻っていった。
撮影が始まって30分ほど経ったとき、一つの場面の撮影が終わってセットの入れ替えなどで騒がしいスタジオが一層ざわめく。速水真澄の登場だった。左右に彼の軽く2倍は年上の偉そうな人たちを伴って、真澄はその所属俳優も顔負けな端正な顔の眉間にしわを寄せていた。
(ふっきげんそー)
台本の隙間から真澄を盗み見る。現場の責任者の上から3人がそろって出迎え、お茶だのお菓子だのと仰々しいオモテナシが始まる。
(…私の陣中見舞いじゃないの?)
真澄とマヤは実は恋人という関係だが、公には「前ほどではないがやっぱり不仲」という関係であるため(マヤが紅天女を獲得し大都芸能に所属したときは報道という報道が大騒ぎだった)、自分から真澄のところに行くのは不自然だと判断してマヤはずっと我慢していた。我慢しているのに
「ありがとう」
マヤの我慢に気づいているのか、気づいていないのか。どちらにせよ、頬を染めて嬉しそうな女性スタッフたちに囲まれて、さっきまでの眉間のしわは?と首を傾げたくなるくらい微笑みをまき散らす真澄にマヤはイライラしていた。
「北島、頑張っているようだな」
スタジオでオモテナシを受けていた真澄がようやくマヤのもとにきたとき、真澄の声にマヤは台本から顔を上げて、待っていた雰囲気なんて微塵も見せずに笑顔の仮面を貼り付けて真澄を見る。
「おや、天女様はご機嫌ナナメだなぁ。期限を直してくれないか?君が食べてみたいと言っていた焼き菓子を献上するから」
ポンッとマヤの手の近くに置かれた紙袋に書かれた店名は確かにマヤが食べたいと言っていた店の名前。雑誌に載っていたキレイなお菓子に見せられ呟いたそのとき真澄は仕事をしていたのに。
「…ありがとうございます」
「天女様のご機嫌は治ったようだ…単純だな」
「大人になったんですぅ」
真澄に向かって舌をべっと出したマヤが「見るだけ」と紙袋を開けるとそれぞれキレイに個装されたお菓子の上に白いカードが乗っていた。白いカードの真意を問うような視線を真澄に向ければ、「忘れるなよ」と真澄はウインク1つ残して、何ごともなかったようにお伴の元に戻った。
「来たか」
撮影が終わったマヤは白いカードに書かれた通り非常階段を昇り、屋上に着くとすでにそこで月を見上げてマヤを待っていた真澄がほほ笑んでいた。
「こんなことしなくてもスマホがあるのに」
「昭和の遺物レベルの機械音痴のくせに」
「中年ほど流行に弱いって知っていました?」
新しいiPh〇neが発売されるたびに嬉々として機種変する真澄はマヤの言葉に口の端をひくつかせたが、手元にあるものなら何でもメモにしてしまうマヤが汚れもシワもない状態で白いカードを持っていたことに気づいて反論する気が失せた。
「オフィスメモ。初めてやったが絶妙なスリルがあっていいな」
真澄が悪戯が成功した子どものように笑うから、マヤも不機嫌を装うのがばからしくなって笑ってしまった。2人の笑い声が満月の輝く夜空に溶ける。
「きれいな月…満月だ」
「今日は十五夜だって……知るわけないな」
「十五夜くらい知ってます!…お団子を食べるんですよね?」
「…月を愛でるくらい言えんのか?中秋の名月だぞ?」
「ちゅう…しゅ…?」
「…よくそれで紅天女になれたな」
ため息を吐いた真澄は足元に置いてあったバッグから日本酒の瓶と2つの小さなガラスのお猪口を取り出す。
「またインターネット通販ですか?」「せっかく君と飲むんだ、とびきり美味しいやつを飲みたいだろう?…ここ数日の激務と引き換えだったがな」
「水城さんを何言って怒らせたんです?」
「つい…”水城君は一緒に飲む相手はいないのかい?”、と」
「アウトですね」
「アウトだったよ」
アウトの代償は社長室の天上にまで届くんじゃないかってくらいの書類の山だった。それを死ぬ気で今日までに片付けたのは
「美味しいですね」
そういって笑うマヤを想像したから。想像が現実になり、真澄の苦労は報われた。一年で一番美しい月と、その月に照らされたマヤを楽しみながら真澄が杯を重ねると
「月には色々なものがいるのを知っていますか?」
「ああ。日本じゃウサギが一般的だが、女神とかカラスとかだろ?」
「速水さんは月には何がいると思います?」
「…女神、だな。ウサギやカラスよりもロマンがあるからな」
「相変わらずロマンチストですね。わたしはウサギ!断然ウサギ押しです!」
「餅をついてくれるからだろ?何なら俺の分の団子も食っていいぞ」
酒のツマミといって真澄が買ってきたお月見団子。「半分こ」とマヤは言ったが、実は真澄の分も狙っていた。そうなると分かっていたから真澄は最初から食べる気もなかったが、それはマヤの知らなくていいこと。
「遠慮しなくて良い。俺は月を見てるだけで十分だ」
秋の空気が心地よく体を包む夜。そんな夜を優しく照らしてくれる月を、まるで真澄が恋い焦がれるように見つめるから
「…見えないぞ」
急に暗くなった視界に真澄が苦笑する。
「目隠ししていますからね」
真澄の目を覆うために、身長差を補うために後ろから抱きつくようにして精一杯背伸びしたマヤ。背中に感じる温もりに真澄の目元が優しく緩む。
「梅の天女様は嫉妬深いな」
「女子ならば誰もが妬心を抱く。抱かせる殿方がいけないのじゃ」
小さな手で視界を奪われた真澄の脳裏にマヤの演じる紅天女が浮かぶ。本音混じりのアドリブに真澄は笑い、目隠しした手から逃れてマヤと正面から向き合う。
「あなたにに妬心を抱かせた罪を、今宵は片時もあなたから目をそらさぬことで償いましょう」
マヤの頬が紅梅のごとく赤く染まり、季節外れでも美しくにおい立つ花のごときマヤを真澄は優しく抱きしめる。2人の体はぴったりくっつき、その間には月の女神がふりまく穏やかな光の粒を一つも入り込めず…照れた月は雲間に隠れた。
END
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