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『それを聞いて安心したよ』
スピーカーを介して聴こえる真澄の安心した声にマヤはマイクから口を離してホッと息を吐く。嘘はついていない、でも少し嘘をついたことに後ろめたい気分もある。
実はマヤは相手役の野崎という俳優に少し困っていた。
それを真澄に言えば、マヤと同じく大都芸能所属の野崎のことをどうにかしてくれるだろうが、「野崎は若いが良い役者だ」と仕事に一切の妥協がない真澄が推薦しただけあり野崎の演技にマヤは一切不満はなかった。
『共演している野崎はどうだ?』
知らない真澄なので意図していないことは明白だったが、あまりにタイムリーな話題にマヤは胸の内を言い当てられたような気になり居心地が悪くなった上に
「の、野崎さん!?」
思わず声が跳ねてしまった。
北島マヤという女優は舞台を降りると演技なんて欠片も出来ない人間なのである。過剰な反応にマヤはしまったと思ったが既にあとも祭り。
『野崎が…どうかしたのか?』
不信感たっぷりな真澄の声にひやりと背に汗が伝うから、マヤは咄嗟に近くにあった水の入ったペットボトルを床に落とす。
「ごめんなさい! ペットボトルの水をこぼしちゃって」
演技が出来ないならば真実を語ればいい、わざと作ったしみをティッシュでふきながら誤魔化す。マヤがドジなのは真澄も知っているので、これで辻褄が合うはずだとマヤは踏んでいた。
(大丈夫、一応演技で食べている身なんだからこのくらい)
『大丈夫か?』
「はい。水だからあとは残らないと思いますし。こんな高級ホテル、カーペットを汚したらいくら請求されるか」
「速水社長から万全のセキュリティーを申し付けられました」と現場入りした日の夕方にボディーガードを兼ねたマネージャーがマヤを連れて行ったのは、他のスタッフや出演者が滞在するホテルとはけた違いの高級ホテルだった。
『弁償とか気にすることはない、マヤはそこで快適に過ごしてくれ』
「ありがとうございます」
社長という立場に相応しい言葉に、紅天女の上映権をもつ女優を護る立場の人間の言葉に、ちょっとだけマヤは心を痛める。
「好き」とお互いに言って恋人同士になったものの、婚約解消から間もない自分とのスキャンダルを恐れた真澄は二人の関係をしばらく秘密にすることを提案した。
照れくささも相まってマヤはそれに反対しなかったが
「紅天女の名に恥じない演技でお返ししますね」
好き合っていることを内緒にしなければいけないことに少しだけ納得しきっていない心がつい言葉にトゲを含んでしまう。いまは特に。
- ”マヤ”って呼んでもいいかな? -
- オフの明日、午前中だけでも一緒に過ごさない? -
演技中と同じくらい、いや、それ以上に熱い瞳で野崎は囁く。
のらりくらりと交わしていたものの、今日仕事が終わるときに台本を奪われ走り書きされた11ケタの電話番号。
- 俺の携帯。結構貴重なんだぜ?朝起きたら必ず連絡して -
強引な言葉にマヤは戸惑いこそあれ、慶びは一切なかった。マヤとしてもマネージャーを介してソフトに、それでも誤解ないようしっかりNOと伝えている。
それでも野崎は自分の魅力でYESに変えられると思っているらしく、マヤとしては対処に困っていた。
『マーヤ』
回想はスピーカーから聞こえた真澄の、優しい名前を呼ぶ声で一瞬で吹っ飛んだ。
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