シティーハンターの二次小説です。 ♪ 夜に駆ける / YOASOBI ♪を聴いて浮かびました。
概要
スポンサードリンク
チック タック
久しく聞いていなかった音を耳が拾い、獠が視線を向けた先には腕時計。時を刻む秒針にノスタルジーを感じた自分を獠は頭を振って払う。
ハイテクにしっかり順応してきたと自負する自称二十歳の男としては『懐かしさ』を認めるのは“負け”とも言えた。昔なじみの大男が知ったら「フンッ」と鼻で吹き飛ばらされるちっぽけな矜持(プライド)。
チック タック
腕時計の男が近づいてくるから針の音は大きくなる。夜の帳が落ち始めた新宿の街には音が溢れ出る
電車や機械のモーター音
車のエンジン音
行き交う人の呼吸の音
“生きている”の音はいつも通りなのに、獠の耳に重なって聞こえる時計の音が、これを『当たり前』と享受できる幸運を獠に強く意識させる。
チック タック
時計の音から逃げるように獠は道を一本変える。多種多様な人間の思惑が交錯するように、大都市は道を一本違えれば大きく風貌を変える。フェンス沿いの道に人影はなかったが
「獠?」
線路と2枚のフェンスを隔てた向こうから聞こえた声に獠は顔を上げる。視線の先にいた香がやや吃驚した顔をしているので、呟くほどに小さな声で自分の名を呼んだのだと獠は直ぐに理解した。
太陽が照らすビルの影が伸びて空は暗くなる。日本で流行した某映画のようにそれが誰か分からなくなる“誰れそ彼”だけど、獠の眼には香の表情が分かった。
ピコポン
神秘的ともいえる一瞬を台無しにする間抜けな音に獠の眉間には僅かな皴。やや雑な手つきでジャケットの内ポケットから音の元凶(スマートフォン)を取り出せば香からのメッセージ
『今月も大赤字なんだから早く帰ってきなさいよ!』
「…素直じゃないねぇ」
口煩い小言を送ってくる香は寂し気な笑顔で、この距離、この暗さなら自分にバレないだろうと油断しているのが獠には分かった。
― 裏(こっち)の仕事には絶対にかかわるな ―
それは2人の約束。それを念押しするように裏の仕事のとき獠は発信機を置いてくる。香の眼にそれとなく映る場所に置いたそれの意味を香は正しく理解して、今日もそれを目にしてきたのだと獠には分かった。
「腕時計をしてこなくて正解だな」
気が逸りそうだ、と画面右上の時刻を確認した獠はフェンス越しに見えた香の顔が紅く染まったことに満足して目的地に向かった。
― 俺の好きなパジャマを着て待ってろよ ―
勘違いしようもない獠からのメッセージを読み、ひらひらと手を振って背を向けた獠を見送って、1分ほど悩んだのち行き先を馴染みの喫茶店に変える。
「ブレンドコーヒーとナポリタンを…いつもより少な目で」
いつもの席に座って注文した香に美樹はうなずいたが供されたナポリタンはいつもの量で、さらにはチーズケーキまでついていて香は驚く。
「気持ちわかるけど体力は大事よ…本当に大事なんだから」
美樹の言葉の言外の切実さに、香は海坊主に目を向けないように努めた。ちなみに妻の言葉を拾って正しく理解した海坊主はしゅわっと頭部を熱くしていた。
チック タック
美樹と他愛のない話に時を刻む音がかぶさる。ナポリタンの皿はとっくにケチャップだけになり、2杯目のコーヒーをもった手に素早く下げられた。
少ないながらもいる他の客の会話
海坊主が食器類を洗う音
在庫をチェックする美樹がペンを紙に走らせる音
いつもの音の中にいるのに時計の音がやけに大きくて、香はいまは空席の隣に目を向けると記憶の中の獠がからかうように口角を上げた。その挑発するような笑みにチクタクと時計の音が重なるから
「ごちそう様」
席を立った香はいつも通り支払いを済ませて、いつも通り喫茶店の扉をくぐったが、いつも通りはそこまでで、チクタクという残響に急かされるように夜道を急ぐ。
ちなみに。冴羽ビルに駆けこむように帰ってきた香を見たミックが周囲を警戒したが、いつまでも何も起きないことに首を傾げたのは余談である。
チック タック
テレビの音がないリビングで時計の針が音をたてながら動くのを香は見つめていた。夜といっても未だ外は暑く、駆けて汗ばんだ体を清めようと着替えを選ぶのにいつもの3倍時間はかかったが、すべてが済めばやることもなくなった。
明けない夜を知っている香。
カウンターの端に無造作に置かれた獠の発信機に目を向けないように努めつつ、以前自分用に買った堕落クッションを抱きしめながら夜の空を見上げる。ただでさえ濁った空に、夏の湿気が重なって、今にも泣き出しそうな夜空だった。
「雨の夜は嫌いよ」
雨の夜に或るのは哀しい想い出。それさえも、これ以上雨の夜に自分を泣かせないだろうという希望に変えながら、香はいつもよりゆっくりな時計の音を聞いていた。
「珍しく息を切らしてるなぁ」
突然降りだした激しい雨で濡れた髪をかき分けて獠が息を整えていると頭上から笑い声が降ってきた。根性で息を整えて「雨に濡れちゃうからね~」といえば、ジャングル育ちのお前が今さらか、とミックに笑われた。
不夜城と言われる新宿は夜でも歩道に人があふれるが、バケツをひっくり返したような雨が降れば蜘蛛の子のように散って無人になる。神様が味方してくれたなんて柄にもない気持ちになって、そのまま全力で駆けてきた。
いまここにかずえがいれば、轟く心音の速さと血流の音に驚いただろう。
「カオリならもう何時間も前にシャワー浴びてたぞ~。真っ白なサテンのナイトウエアに身を包んで寝ちゃってるだろ」
だからうちで一杯やらないか、という誘いの言葉はマグナムが爆ぜる音で遮られる。顔の横を熱が駆け抜けて背後で散った。
「…不可抗力だ、偶然カオリの部屋の窓のカーテンが開いていたからさ。ほら、記者なんて生業だとついつい観察と分析を、ね」
ミックの言い訳をふんっと鼻息で拒否した獠は何も言わずにビルの入口をくぐり、扉が閉まる寸前にトラップを全て稼働させるのをミックは見た。
「…心狭ぁ」
遅過ぎる獠の初恋は、そのうちに飼っていた天邪鬼の手助けもあり、周囲が焦れるほど拗れまくった。今でもミックから見れば獠は香に関しては全体的に不器用、しかし妬心だけは一人前で香の全てを独占しようと獠は周囲を威嚇していた。ミックがその妬心の一番の被害者ともいえるが、自業自得という評もある。
チック タック
時を刻む規則的な音に小さく混じった電子音。次の瞬間に聞こえる階段を上る音、時計とは違うけれど規則的なその音を聞きながら数を数えて、香が廊下を抜けて上の階に行くのと同時に玄関の扉が開く音が響いた。
玄関扉を開けると同時に濃くなる香の気配に獠の口角が上がり、パタパタと上から聞こえるスリッパの音に喉の奥からクッと笑う声が漏れる。
「雨に感謝だな」
香との共通の哀しい想い出のせいで獠も雨の夜が嫌いだったが、今夜はいくつかの手間を省いてくれた大雨に感謝していた。上の気配を探れば右や左に揺れていて、慌てふためく香が浮かんで笑いに獠の肩が震える。
普段なら廊下に濡れたものを脱ぎ捨てれば怒られるが、おそらく今からの所業のあとでは起きてくるのは確実に自分が先だと踏んだ獠はその場にいろいろ脱ぎ捨てる。
わざと音をたてて上に行く階段を昇ればバタバタと聞こえる足音、そして不意に途絶えた足音に獲物が自分の巣穴に潜り込んだのを察した。
チック タック
時を刻む音よりも大きく響く、緊張がにじんだ香の呼吸する音。いつも“通り生きている”音に笑った獠は大きな歩幅でベッドに歩み寄り
「ただいま」
盛り上がった山に声をかければ、次の瞬間に山から2本の白いパジャマを着た腕が生えて
「おかえりなさい」
さらりと首に触れたサテンの感触と、時をおかず腕の中に飛び込んできた優しいぬくもりに獠は自分の腕をしっかりと回した。
END
コメント