名探偵コナンの二次小説で、服部平治と遠山和葉の物語です。
新一、平次、蘭、和葉は全員帝都大学に通う大学生の設定です。平次は独り暮らし、和葉は蘭の母・英理のところで暮らしている設定です。
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「お前んとこ来るといつも姉ちゃんがおるな」
「そ…っかぁ?」
平次の指摘に新一は気まずくなって誤魔化したものの、薄ら染まる頬が図星を刺されたことを表していた。
黒の組織を壊滅させて高校に復帰した新一は進級のための補習が続き、恋人である蘭との時間もろくにとれなかった。
無事に進級すれば受験生であり、新一と蘭のデートは専ら図書館デートとなった。
- 同じ大学に受かれば一緒に入れる時間も増えるし、これからは二人の時間はたくさんあるもの -
プロポーズみたいだな、と思っていたがら幸せを感じる受験勉強。
進級さえできれば大学受験なんて新一には余裕綽々の代物。
逆に蘭の勉強を見ながら高校生活最後の1年を過ごし、ふたりは無事帝都大学に合格した。
新一は法学部で蘭は教育学部。
学部は違うが同じ敷地内にいるだけで新一と蘭は幸せだった。
それまでの寂しい想いを埋め合わせる様に、二人は時間の許す限り一緒にいた。
「まあ、この邸は姉ちゃん連れ込み放題やからなぁ」
「…いかがわしい言い方すんな///」
照れたということは自覚はあるのだろう。
一時期帰国していた新一の両親は今はもうアメリカに戻り、新一は再びこの広い邸に一人で暮らしていた。
近所に住んでいる恋人はここで長い時間を過ごし、夜遅くに新一に送られて帰って行くのが日課だった。
「お前だって似たようなもんだろうが」
「俺、か?」
新一の言葉に平次は首を傾げる。
平次も上京して東都大学に入学、学部も新一と同じ法学部。
「おめえんとこも和葉ちゃんがいるだろ、いつ行ってもさ」
「ああ。あいつの所為でちっても一人暮らしって実感がないねん」
形勢逆転を狙って新一がからかえば、ガングロな平次は眉間に深いシワをつくった。
和葉は帝都大学の人文学部に入学していた。
「あいつが居るとおかんが居るみたいやねん」
「何言ってんねん!」
会話している新一の言葉を退けて応えたのは和葉だった。
「家事もろくすっぽ出来んくせに。私が居らんかったら餓死すんで」
小言のような和葉の台詞に思わず平次は首を竦める。
その姿は姉弟というより母子のようで、新一は隣に座った蘭と顔を見合わせて笑った。
「しっかし…和葉ちゃんに全部やってもらうのは、なあ」
「こいつが勝手にやりおるねん」
「何やて!?」と平次の言葉に和葉が目を剥いたが、平次は呆れたように和葉を指さして
「こいつ、おかんから勝手に合鍵もらいよったん」
「放っといたら野垂れ死にするっておばちゃん言ってたで」
「だったらオンナ作ったる。丁度ええわ。この前告ってきたべっぴんさんが近くの短大の家政科で趣味が料理って言ってたからな」
「…ホンマ?」
「ああ、これでも俺、かなりモテるんやで」
「知っとるわ……ボケ」
大阪人の習性か、和葉は胸がつぶれる想いをしつつもテンポ良く応えてしまう。
打てば響くような和葉との会話に満足した平次は気が緩んでいて
「そういやお前ってもてるんか?いや…うん、お前にオトコなんて全く想像つかへんなぁ」
問いかけておきながら平次は勝手に応え、自分の答えに満足そうに平次は笑いながら新一の隣に座る蘭を指さし
「お前もちっとは姉ちゃんを見習えや」
「ちょっと服部君!」
和葉が黙っていることを良いことに笑う平次に、指名された蘭は怒ったように声を上げる。
いつも穏やかな蘭の眼には大事な友だちを傷つけられた怒りが籠っていて、滅多にない怒る蘭に平次の説教を任せた新一は肩を竦めて和葉を見た。
(……)
いつも元気な彼女も平次の言葉が流石にショックだったのか。
俯いていたため新一から和葉の表情は見えないが、握られた拳が感情の爆発寸前であることを如実に表していた。
「蘭は蘭、和葉ちゃんは和葉ちゃん。和葉ちゃんも十分魅力的だよ」
新一の言葉に和葉は驚き、ぱっと顔を上げて目が合った和葉に新一はにっこりと笑いかける。
新一は蘭の手を握って、それは世の男性の一般的な意見であると理解していた蘭も平次を一睨みした後で和葉に向き直りにっこり微笑んで頷く。
「和葉ちゃんは可愛いし、料理だってめちゃくちゃ美味いしさ」
「そうよ!私も和葉ちゃんみたいな和食を作りたいもの。お父さんだって和葉ちゃんの筑前煮の大ファンよ」
「合気道だって強いしさ、姿勢もいいから所作全てがキレイだし」
「わわわわわ、もうええって///」
ほぼほぼ平次の所為か、同世代の男に褒められ慣れていない和葉は真っ赤になる。
「恥ずかしいやん」と呟きながらも和葉の顔が恥じらうように緩んだ。
和葉にとって新一は平次とよく似ていた。
だから新一に認められると、和葉にはまるで平次にも認められたように感じた。
「ありがとう、工藤君」
ふにゃりと嬉しそうに笑った和葉に
「いえいえ」
笑顔で応える新一に、平次の眉に深い皺が寄った。
そして自分の悪いクセだと分かっているのに、
平次は感情のままに口を開いてしまった。
脳が警鐘を鳴らすのに、
平次には口が動くことを止められなかった。
「ありえへん。…こいつにオトコ?あり得へん、あり得へん」
「おい!」
嘲る自分の言葉を棚に上げ、
和葉を庇うように声を荒げた新一に平次のイライラが増す。
こんな状況を招いているのは自分だと分かっているのに、
感情で塗りつぶされた脳は勝手に言葉を紡いでいく。
「こいつにオトコなんてできるわけあらへん…そうや、和葉にオトコができたら祝いに俺の全財産を和葉にくれてやるわ」
自分に彼氏ができても平次は平気どころか、幼馴染として祝う気でいる。
それを如実に表す平次の言葉は和葉を傷つけた。
心を鋭い棘で深く刺されたような痛みが和葉の体を走る。
幼い頃から平次一筋で他の男の子を見もしなかった和葉だったが、和葉がそうだからといって平次がそうではないことを和葉は知っていた。
平次が過去に何度か女の子と付き合ったことがあることも。
それは全て周囲が気づかないほど、傷ついた和葉でさえ呆れてしまうほど短い期間だった。
それでも平次の隣に和葉ではない、平次自身が選んだ女の子が並んだということは和葉を傷つけた。
(うちも視野を広げんとあかんってことかなぁ)
隣にいる蘭と新一のようなロマンスを望むことはできないのだと、自分を嘲った平次の目と声が和葉にひとつ覚悟をさせた。
「蘭ちゃん、明日買い物に付き合ってくれへん?」
「え!? あ、うん……もちろん、いいけど?」
「おおきに」と和葉は笑いながら、和葉は自分のお洒落を思い出す。
平次に好かれればという思いで、フットワークの軽い平次に合わせた動きやすい格好と薄化粧。
(蘭ちゃんも似たようなもんやけどなぁ)
美人な蘭と自分ではシンプルな服も薄化粧も結果がこうも違うのかと少し凹んだりしていたが、それも今日で終わりだと決めた。
(美人を見慣れている工藤君が魅力的って言ってくれたんや!)
「平次」
いつも通りキャンキャン言い返してくるはずの和葉の静かな声に平次はごくりと唾を飲む。
脳内で鳴り響く警鐘は過去最大級のけたたましさ。
平次の目の前の和葉はあのかるた大会を彷彿とさせる挑むような目をしている。
「覚悟しいや、すぐに彼氏作って全財産奪い取ったる」
和葉は平次をジッと見たあと、ふわりと微笑んだ。
その笑みはいつもの幼馴染の笑顔でも何でもなくて、一瞬だけど平次には和葉が知らない女に見えた。
「何やってんねん、俺…あんなんいつもと同じケンカやんけ」
あの日から数日後、平次は映画のチケットを2枚持って、大学構内でも滅多に歩かないエリアを歩いていた。
ブツブツ言い訳する男の浅黒い手が持つ映画のチケットはいつだったか和葉が見たいと言っていた映画のものだった。
(あの女、いっつも事細かくオカンに言いつけおって)
『あんた、和葉ちゃんとケンカしたんやって?和葉ちゃん、もうあんたの面倒は見ることはできないって、まあそれはそうやもんね、うちも可愛い和葉ちゃんに甘えてもうたわ。平次、あんた一人でしっかり生活しなさい。で、あんた和葉ちゃんに彼氏ができたら祝いに全財産送るんやってね。和葉ちゃんから聞いたんじゃないで、工藤君から聞いたんや。やからうちも、うちの人も遺言書書き直したから。遺留分なんて無粋なこと言わないように』
夕べ母・静香からかかってきた電話(一方的にまくしたてられて切られた)で平次は和葉が本気で怒っているとようやく理解した。
(いっつも怒られんのが俺で、毎回俺がご機嫌伺いに行くことになるねん)
『あんたが悪いんやから当然です』と母の毅然とした声が聴こえて平次は肩をすくめる。
- 和葉、ごめんな -
幼い頃はケンカをするとすぐに謝りに行った。
『あんたが泣かせたんやろ』という母に渡された仲直りの品を必ず携えて、和葉の家の玄関のチャイムを押していた。
「美味しいなぁ」と二人で仲良く半分こ。
美味しそうに食べる和葉を見ると平次も嬉しくなった。
(いつからやろ)
いつの間にか素直に和葉と接することは無くなった。
子どもじゃなくなったから、とそう言えばそれまでだけど記憶力の良いため平次には『いつ』が良く分かっていた。
それは興味本位に初めて彼女を作ったときだった。
平次が初めて作った彼女との付き合いはものの数日で終わった。
隣を歩く彼女に感じた違和感が拭えず、一緒にいるだけで疲れた。
結局その『彼女』と過ごした時間はトータルして1日にも満たず、周囲の誰も彼女の存在に気づかず終わった。
(和葉はほんまに知らなかったんやろか)
顔も朧げな『彼女』を思い出しながら平次は考える。
平次に彼女がいるほんの短い期間とそのあとの数か月、不自然なほど部活やら委員会やらで忙しかった和葉。
当時の平次は一緒に登下校できない理由を作らずにすんで安堵していたが、今の平次には、数日前に見た知らない表情で微笑む和葉を見てしまった今は、何も分からなくなっていた。
「服部君?」
不意に名を呼ばれて意識が現在に戻ると、目の前に不思議そうな顔をした女性が立っていた。
彼女は平次が所属する剣道部のマネージャーで、和葉と同じ学部の学生だった。
「珍しいね、こんなところに…ああ、遠山さんか」
「あ、ああ……まあ…」
『和葉』の名に一度心臓を鳴らして平次は肯定する。
一瞬の間に付き合いの長い和葉なら違和感を感じたかもしれないが、付き合いの浅い彼女はそんな平次に笑うだけで
「ねえ、遠山さんのアレって服部君の影響なの?」
「和葉がどうかしたんか?」
平次のきょとんとした顔に、彼女は本当に知らないのかと肩をすくめて「自分の目で見た方が早い」と説明を放棄して立ち去った。
その彼女の背中を平次は追うことなく、彼女が指差したものに釘づけになった。
アレハ誰ダ?
平次の知らない女が平次の良く知る笑い声をたてる。
それは平次の隣でいつも奏でられる音。
平次にとって生活の音のひとつでもあったもの。
アレハ和葉デハナイ
知ラナイ女ガ紡ギダス和葉ノ音
「やっと顔を出したな」
ポンッと肩を叩かれた平次は思わず振り払うように身体を翻せば、そこには手を浮かせて驚いた表情の新一がいた。
平次の表情を見た新一も驚いたが、直ぐに平次の表情の理由を悟りニヤッと笑う。
「蘭に頼まれて和葉ちゃんを飯に誘いに来たんだ。お前も来いよ」
「あ…ああ、そや…な」
「和葉ちゃんと顔合わせんのも久し振りだろ?可愛くなって驚いたか?」
「…何した、お前」
苛立ちを含む平次の声に新一は「賭けに協力しただけさ」とニヤッと笑った。
別に協力などに制限などを設けていないため、あの賭けに誰が何で協力してもルール違反にはならないと新一は笑う。
「蘭と園子と和葉ちゃんとポアロで作戦会議してたら梓さんも参加してきてさ。せっかくだから降谷さん、赤井さん、宮野も誘ってみたんだ。面白かったぜ、降谷さんと赤井さんが思った以上に熱入れちゃって」
「いい年齢したオッサンたちが若い娘相手に何やってんねん…あんなん和葉じゃないやろ」
和葉のトレードマークのポニーテールは凝ったツインテールに、いつものシンプルなTシャツ姿はふわふわしたワンピースに変わっていた。
和葉といえばどちらかといえば”可愛い”というイメージだったが、それがすっかり”キレイ”に変わっていた。
「蘭と同じで和葉ちゃんも姿勢良いだろ?何着せても似合うからみんな楽しんじまったよ。あれは蘭と俺が選んだやつなんだ……和葉ちゃん!」
言葉の終わりに新一が平次を押し退けて和葉を呼ぶと、平次が視線を向けた先で和葉が顔を上げる。
幼い頃に京都の寺で見た和葉を彷彿させる紅をさした唇が嬉しそうに弧を描き、新一がいうキレイな所作で立ちあがり新一と平次のところに駆け寄る。
足元も初めて見る華奢なヒールだった。
「蘭ちゃんから工藤君がこっちに来てるって連絡があったん。平次?なに不景気な顔してんねん」
「…煩いわ、ボケ。とっとと行くで。あんな美人な姉ちゃん一人が場所取りしてたら危ないやろ」
プイッと背を向けて歩き始めた平次を、蘭が危険だと聞いた新一が慌てて追う。
(ダメやん……やっぱ)
和葉はその後を追いながらワンピースを見下ろしため息を吐いた。
『似合うじゃん』と蘭とともに見立ててくれた新一は褒めてくれたから自信を持っていたのに、何の反応も見せない平次に和葉はため息を吐いた。
(ムシャクシャする)
昼間に見た和葉を振り払うために剣道部で一心に平次は竹刀を振っていたが、すぐに全員がだらしなくも大の字でへばってしまったため平次はグランウンドを走っていたが
「ああ、クソッ」
走っても晴れない憂さに平次は悪態をつき、ごろりとグランド脇の芝に横になった。
様々な運動部の掛け声が風に乗って平次の耳に届く。
口ではアホだのボケだの言っているが、平次にとって和葉は大事な幼馴染。
(俺ってこんなに心が狭かったんか)
別に和葉の性格が変わったわけではない。
声も笑顔も変わらず、ちょっと見た目を変えただけ。
周りの人が、男共が和葉を見る目が変わっただけ。
「…工藤のボケが」
今頃蘭とデート中の男を思い出して平次は舌打ちをする。
勇気を出して柄にもなく和葉の好きな恋愛映画のチケットを買ったのに、すでに見に行ったと和葉から聞いて行き場を無くしたチケットは蘭に押し付けた。
「なーにが映研じゃ」
苛立ちを芝にぶつけブチブチと引っこ抜き風に舞わす。
思い出すのは昼食時に和葉に話しかけてきてた男。
平次がレジに並んでいるときに和葉を呼ぶ声が聴こえ、平次が会計を終える頃も未だ話しに花を咲かせていた。
うどんが冷めるで、といって平次は知らない男と笑い合う和葉に声をかける。
2人になった平次は和葉に相手の男を訊ねると映研の男で、偶然レンタルビデオであったと言った。
顔見知りか、と力んでいた体から力を抜いたとき和葉が爆弾を落とした。
― だから一緒に映画に行ったねん。ほら、うちが見たいって言っていたやつ ―
和葉が言うには丁度男も興味があるということで二人で見に行ったとのこと。
「男が恋愛映画が好きなんてマジか?」と、それは和葉を誘うための口実ではないかと平次は示唆してみたが
「自分が嫌いやからって人の趣味をとやかく言う必要はないやろ」とド正論が返ってきた。
「…映画か」
たまには見てみるか、と部活を終えた平次は自宅から少し離れた、和葉の自宅に近いレンタルビデオ屋に行ってみた。
そしてそこには
(…居った)
自動ドア を潜ると平次の耳ににぎやかな音楽が衝突してきた。
好みではない音の洪水に平次は眉を顰め、店内を見渡して和葉を見つけた。
洋画の棚の前で背伸びをする和葉を見て身体の強張りをほぐす。和葉が独りであることにホッとした事実を無視しながら。
「何やってんねん」
「平次!?」と驚く和葉を無視して、和葉の指先だけが触れていたジャケットに平次は楽々と手を伸ばし和葉に渡す。
「あ…ありがとう」という和葉の言葉にわずかに頷いた平次の耳朶を叩いたのは小さな舌打ち。
平次が目線だけ向けると、平次と視線があった映研の男が棚の影に隠れるところだった。
(やっぱり偶然じゃないやんけ……この、鈍感女)
呆れた様に隣を見れば、何も気づかず違うDVDを物色する和葉。
その呑気な姿に平次はため息を吐く。
「平次は何を借りんの?」
「あ……あー、そうやなぁ…………俺はええわ」
平次の言葉に和葉は更に深く首を傾げた。
このレンタルショップは平次の部屋から近くはなく、もっと近くに2軒ほどあることを和葉は知っていた。
「平次、どうしてここきたん?もしかして何かお願い?」
「いや………その………」
平次の頭に浮かんだのは
「そう、煮物や」
「煮物?」
思い掛けない返事に和葉は目をぱちくりとさせたが、同じ大阪出身者として思い当たることがひとつ。
「関西風の煮物が食べたいってことやろ、何か分かる気ぃするわ」
「やろ?材料費は出すから労力を提供してくれや……だ、ダメか?」
平次は和葉の手の中のDVDディスクを指さして
「その映画、うちで見てもええし」
「…でも、あんたが嫌いな恋愛もんやで」
「ええから!俺は煮物が食いたいんじゃ」
「…あんた、どこの国の王様やねん」
平次の堂々とした願いに和葉は呆れたものの、ここ数日ご無沙汰だったテンポ良いやり取りに笑顔になって、
「ええで!」
向日葵のような和葉の笑顔に平次の心臓がドクリと鳴った。
「机の上を片付けてなぁ」
慣れた仕草でエプロンの紐を結びながら和葉は買ってきた袋から材料を出す。
早くに母親を亡くした和葉は家事全般に精通しており、文明の利器を上手に使って手早く煮物を作り上げていく。
「こんなもんかな」
本当は1日くらい置いて味を染み込ませたい、と和葉がちょっと残念に思っていると
「美味そうやな」
突然背後から聞こえた声に和葉は驚き、振り返った瞬間に平次の身体の近さに固まった。
(近い、近い、近い!!)
慌てて正面を向き、真っ赤になった顔を隠すため和葉は俯く。
一方で平次は和葉の菜箸をもつ手に自分の手を重ねた。
「ひゃっ///!!」
「……何けったいな声出してんねん。味見させえ」
「あ、味見!?」
手と背中に感じる平次の熱から神経を引っぺがし、和葉は菜箸を平次の手に押し付けると、首を傾げた平次は器用に箸を動かして野菜を口に放り込む。
その姿に和葉は目を見開く。
骨ばった大きな手
大き目に切った野菜を楽々飲み込む大きな口
噛む動きに合わせて揺れる太い首と喉仏。
自分には無いもの、違うものがやけに目につく。
一方で平次は胸元で顔を真っ赤にする和葉に気付くことなく、平次は満足げに口を動かして懐かしい味を堪能する。お
袋の味はバカに出来ないな、と思いながら菜箸を鍋に戻し口だけを動かす。
平次の右手が菜箸を置き、自然と和葉の左隣に置かれる。
左手はずっと和葉の右隣。
囲まれた形になった和葉は真っ赤な顔で平次を見上げ、和葉の複雑な表情を見た平次はその理由にハッと気づいて慌てて退こうとした瞬間スマホが鳴る。
「俺の…やないな」
「あ、うちのや」
和葉は慌ててエプロンのポケットを探る。
解き損ねた平次の腕の中の狭い空間で器用にスマホを取り出すと、「蘭ちゃんや」と嬉しそうにいそいそと電話をし始めた。
既に和葉の頭から現状は弾きだされたようで
「うん…うん………ええで」
蘭と楽しそうに会話をする和葉の姿に自然と平次の顔が緩み
(可愛ええな…………って、何言ってんねん///)
突然頭に飛来した考えに自分で照れた平次。
いつまでもこの格好でいるのも変だと平次が身体を離そうとしたとき
「あ、工藤君?」
和葉の声が平次の動きを止める。
和葉の楽しそうな笑顔と声に平次の心が軋む音を立てる。
思考回路が黒く曇る。
ユルサナイ
何を、と理性が考える前に平次の手が動き
「わっ、平次っ!?」
突然スマホを取り上げられた和葉は驚いて顔を上げたが、照明を背に背負って逆光になった平次の表情は見えず
「飯が冷める……ほなな」
冷たい声でそれだけ言った平次は勝手に通話を切り、再び待機に戻ったスマホを和葉に放って
「長電話は後にせえ。食うで」
(そんなにお腹減ってたんやな……悪いことしたな)
離れた平次に和葉はポケットにスマホをしまい、急いで煮物を皿によそった。
「平次…本当にええん?」
「…ええって言ってるやろ、しつこいやっちゃな」
よこせと出された平次の手に和葉は渋々と借りてきたDVDを渡す。
平次は機械的に手を動かしてDVDをセットし終えると、リモコンを持ってきて和葉の隣に座ったが
「なんじゃこれ! こってこての恋愛もんか!?」
「だから言ったやん」
流れてきたタイトルに平次は声を上げると、和葉はビーズのクッションを抱きしめて
「だからええかって聞いたやろ。ええって言ったんは平次やのに」と
句を言いつつ諦めのため息を吐いて和葉が立ち上がろうとするのを平次の手が止めた。
「ええって言ったんは俺やから…約束は守る」
「………そうか?」
隣で寒イボを堪えて映画見る奴がいても落ち着かないと思いつつも、和葉は机の上にある煮物を見ながらまた座る。
長い付き合いである。
和葉は平次が約束を違うことを嫌うことを知っていた。
和葉は映画に集中する一方で、平次は映画の内容を”そこそこ”程度に見ていた。
(工藤かい、この男は)
自分にはマネ出来ぬ甘い台詞を紡ぐ男が映るたびと平次は内心で舌を出していたが
(……しかし、まっずいなぁ)
どんどん濃くなる恋愛描写に平次が焦って隣を見ると、隣の和葉は真剣な目で画面をジッと凝視していた。
(よくこんなんガン見出来るな…………ん?)
不意に和葉の唇が平次は気になった。
パッと見いつもと同じだから気づかなかったけれど、一度気づくと拭えない違和感。
(あ…口紅)
平次の中の探偵の観察眼が答えを弾きだす。
「お前、口紅なんて塗ってるんか」
「へ?」
突然唇の脇に触れた平次の指に和葉は驚き、映画から意識を無理やり剥がされ平次に向けることになる。
そして至近距離にある平次の顔にギョッとした。
「なななな…何!?」
戸惑う和葉をそっちのけで平次の指が唇をそっと撫でるから、そんな親密な仕草に和葉の心臓が煩いくらいに高鳴る。
一方で平次は薄らと親指についた口紅に目を細めた。
「…お前、飯食った後にわざわざ塗ったんか?」
理解できていない和葉に平次はイラつく。
「口紅なんて嫌いやったやろ…それをわざわざ塗り直すほどこれは気に入ってるんか?これ、お前が買うたんか?」
「これ………は、工藤君がくれたんや」
「…工藤、やって?」
和葉の口が紡ぐ新一の名に平次が眉を寄せる。
「うん…似合うっていってこの口紅くれた………平次?」
ふっと陰った視界に和葉が言葉を切り、顔を上げるとすぐ近くに平次の顔があった。
平次の名を呼んだのに、黙ったままの平次の指が和葉の口紅を拭い去る様に何度も唇を往復したとき
「…!!」
平次の手が頬を滑って、和葉が唇に感じたのは冷たく渇いた他人の唇の感触。
一瞬の出来事に見開いた和葉の目が、伏せていた平次の目が開くのを見る。
「目……閉じろや、礼儀やで」
そんな平次の言葉に大きく開いた和葉の目に平次の大きな手が被さる。
反射的に和葉が目を閉じた瞬間に再び唇が触れ合う。
「へいっ…」
顔を背けると顎に手を添えられる。
指が肌に食い込む痛みに和葉は身体を強張らせ、平次の肩を両手で押し返すのにビクともしない大きな体。
力いっぱい押し返す和葉の力をものともせず、平次とのキスは深くなった。
(苦し……)
和葉にとって初めてのキス。
呼吸の仕方なんて解らない和葉は息苦しさに気が遠くなり、ずるりと平次の肩にかけていた手が落ちた瞬間、ハッと平次が我に返った。
「っ」
慌てて唇を離し、肩で息をする和葉の体をソファに預ける。
潤んだ瞳でトロンと天井を見る和葉の姿に平次の理性が揺れる。
(何やってんねん、俺! これは『和葉』やで!?忘れんなや!!)
和葉であることを確かめる様に平次が隣を見れば、和葉の瞳で揺れる戸惑いと見紛う筈のない恐怖に平次は胸を突かれた。
― 平次 ―
いつもの 鈴が鳴るような和葉の声が平次の頭に響く。
「ははは、悪い悪い。雰囲気に飲まれてもうた」
和葉を怖がらせるくらいなら、と平次はギュッと握った手をほどき、和葉の肩を優しくポンポンと叩く。
和葉の目から恐怖が消えて戸惑いだけになったことに平次はホッとした。
気まずい空気を霧散させたいという思いだけで平次は口を動かす。
「それにしても…お前、キス下手くそやな」
あれは子どもの悪戯の延長だったのだと、驚いた顔を向ける和葉から視線をそらせつつ平次はニカッと笑う。
「オトコが出来たらそいつに教えてもらうんやな」
自分とのことは練習ですらない、と言う様な平次の言葉を理解した和葉の目から焦点が失われた。
ぼやけた視界で脳がクリアになる反芻するのは平次の言葉。
- そいつに教えてもらうんやな -
脳内で平次の声が響くたびに現実の苦味を味わう。
唇をギュッと結んだ和葉はきっと前を見据え、立ちあがってDBDデッキからディスクを取り出す。
(うちの頭もこんな風に機械的に動けばいいのに)
この機械は再生していた映画のことなんて知らない。
新しいDVDを差し出されれば何も感じずただ受け入れていく 。
「和葉?」
「帰るわ……ほなな」
「…ちょお待て」
「何や」
呼び止めた和葉に平次はバイクのメットを目で指し、『送っていく』と合図を送る。そんな平次に和葉は首を横に振る。
「大丈夫や。まだそんなに遅い時間じゃないし……うちにはこれもある」
でも、と言い募り和葉の肩に手を伸ばした平次の手を和葉がとると、手首を掴まれたと思った瞬間に平次の視界がぐるりと回った。
「っ」
咄嗟に身体を強打しないように受け身をとったが、平次の大きな身体が落ちた衝撃に部屋が揺れた。
「ほな」
静かになった部屋に階段を下りていく和葉の足音だけが響いた 。
【後編】に続く
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