薬師寺涼子の怪奇事件簿の二次小説で、泉田と涼子は上司・部下の関係です。
旧題は「運動会」です。
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『秋の実技大会』と描かれた旗が風にたなびく様子に泉田は日本の警察は平和だと感じた。
「今年も来たわね~」
「楽しみですぅ」
「自分も精一杯頑張るであります」
「私は今年も応援側にまわらせてもらうよ」
泉田の左右を固める薬師寺参事官室の面々も横断幕を見上げ、のんびりとそれぞれの感想を述べてた。
「今年もあのメンバーで出るのか」
そんな彼らをよそに周囲はざわつく。
(ここに配属希望者がいないんだから当然だろうが)
周囲のささやきに、泉田は苦虫を噛みつぶしながらため息を吐くという器用な真似をして見せた。
そんな泉田とは対照的に、ニューフェイス配属の原因となっている泉田の上司はどこ吹く風で。
「泉田君は剣道と射撃で必ず入賞しなさい」
「マリちゃんは今年も柔道で3位以内ね」
「さとみは拳法の部で善戦…まあ、入賞して欲しいけどね」
女王様のように次々と家臣に命じる脇で、家老のように控えた丸岡が電卓を片手に「さて、来年の予算は…」と計算を始めていた。
そう、この運動会は単純なレクリエーションではなく来年度の活動予算がかかっている。
そして泉田と阿部は去年トップクラスの賞金稼ぎで、2人の活躍によりで去年の参事官室は他と比べて予算がほぼ倍だった(非公式予算は含まず)。
「それじゃあ皆、頑張るのよ」
本当ならばこういうものに率先して参加したがるのが涼子。
しかし「キャリアに怪我をされたり怪我をさせたりしまっては後々の問題になる」という上層部の判断によりキャリアの参加は認められなかった。
「一本! 勝者、泉田」
審判の声に歓声が重なると同時に泉田の準決勝進出が決まった。
(よし、ノルマ達成だな)
泉田もホッと安堵しながら待機場所に戻ると、「泉田警部補、お疲れ様ですぅ」と貝塚が出迎えて、彼女が渡す冷えた茶を受け取った泉田は勢いよく飲み干す。
「泉田警部補はやっぱり強いですねぇ」
「貝塚君の戦果は?」
「準決勝手前で惜敗ですぅ」
悔しそうにいう貝塚に今後の努力をみとめた泉田は笑顔で彼女を労い、ここにいない阿部の様子を問えば現在準決勝中とのこと。
「御二人ともノルマ達成ですねぇ。あ、もう一杯持ってきましょうか?」
空になった紙コップを見た貝塚が泉田に訊ね、泉田は頼むことにした。
笑顔で頷いた貝塚が去っていくのを見送った泉田が頭にまいていた手ぬぐいを外すと、会場の涼しい風が湿った髪の間を抜けた。
(ふう、やっぱり連戦で疲れるなぁ)
余談だが現在の泉田の段位は三段で、五段以上の人間が勝ち進む中で泉田だけ圧倒的に段位が低い。
(俺もまた昇段試験を受けようかな…無理だな、時間がない)
昇段試験を受ける時間がないほど泉田の日常は忙しい。人間の起こす事件の解決に加えて、怪奇事件にも立ち向かわなくてはいけないのだから。
泉田は周りを見渡し、同じく残っている選手が先日同僚に昇段して給料が上がったと自慢していたのを思い出した。
(よくよく考えたら彼らが練習しているとき、俺は命がけの実戦中なんだよな)
訓練で死ぬことはまずないのに、現場で妖怪退治に精を出している泉田は常に死と隣り合わせの戦いをしている。
(それなのに昇段も昇給もままならない…不幸だ)
「泉田警部補、お疲れ様です」
「お強いんですね」
心中で自分の不幸にどっぷり浸っていた泉田は周囲を婦警に囲まれていることに気づかなかった。
「あの、これ差し入れです。良かったら使ってください」
品のいいスポーツタオル、数種類のスポーツドリンク、そして極めつけが手作りとしか思えないお弁当と、数々の品を手に婦警たちが泉田を囲んでいた。
「あ、ありがとうございます」
戸惑いながらも人の好意をしっかり受け止めるのが泉田という男で、律儀に一人一人に礼を言いながら品を受け取っていくのを数メートル離れたところから見守る女ふたり。
「ねえ、さとみちゃん……【あれ】は何?」
「えっとぉ、そのぉ」
泉田の勝利を確認した後、柔道の部に出場している阿部を労いに場を外した涼子。
戻ってきて貝塚と合流してみれば、婦警たちに囲まれる泉田を発見した。
穏やかな声かつ笑顔を浮かべているが機嫌はすこぶる悪く、その原因がわかりきっている貝塚は冷や汗を流し続けた。
華やかな涼子の存在が華やか過ぎて目立ちにくいが泉田は優良物件。
安定の公務員であり、数多の警察官の中でも警視庁勤務、そして端正な顔立ちに、とどめはすらりと高い鍛え抜かれた体躯。
現在はちょっと島流し気味だが(女王の意向により)、元々はノンキャリアでありながら出世株だった。
実は婦警の中で泉田は人気があり、本人以外の参事官室メンバーはそれを知っていた。
そして涼子の想いも鈍感男以外は気づいている。
丸岡に言わせると「あれで気づかない彼がどうかしている」とか。
どうしたものかと貝塚がわたわたしていると、泉田の方が涼子と貝塚に気づき
「薬師寺警視、貝塚君!!…どうもありがとう、失礼していいかな?」
穏やかに微笑みながら女性の輪を抜けると泉田は小走りで2人に近づいた。
そしてニッコリと笑いながら涼子に勝利を報告する。
「…よくやったわ」
少年のように嬉しそうに報告する泉田に涼子の怒気は霧散した。
お見事、と貝塚は無意識に女王様の怒りを鎮める泉田に心中拍手を送り、二人の邪魔をしないように阿部たちのもとに先に向かった。
「座りますか? 参事官室の椅子よりも大分固いですが」
「ま、こんなところじゃ贅沢言ってられないでしょ」
会場に設置されたパイプ椅子を引っ張ってきて2人は準決勝が始まるまでのんびりとしていた。
「射撃の部の準優勝おめでとう。すごいじゃない!日頃の訓練の賜物ね」
「あー、ありがとうございます」
(命がけで動く的相手に射撃してますから)
妖怪相手の射撃訓練はものすごい勢いで泉田の射撃の腕を向上させていた。
そもそも人ではないため凄いスピードで動く的(妖怪)だ。
それに比べたら今の泉田にとって動かない的など『当ててください』と書かれているようなものだった。
『剣道男子の部。準決勝を開始します。選手の方はお集まりください。』
放送に気づいた泉田が腰を浮かせると、良いタイミングで涼子が笑顔で手拭いを渡す。
礼を言って受け取った泉田は慣れた仕草で丁寧に頭に巻いていく。
「ふう」
髪を全て手拭の中に仕舞って整った顔立ちを露にする泉田に涼子の心臓が高く跳ねた。
集中する姿は見慣れているが普段はスーツ姿で、今日の胴着姿は凛々しさを増大させていた。
「警視?」
見蕩れたまま全然動かない涼子に不信感を抱いた泉田の声にハッとした涼子はあわてて口を開いたが
「家臣なら優勝を目指してくるのよ。2位以下じゃだめよ」
飛び出た可愛くない台詞にいささか昂揚していた気分が冷める。
涼子の頭にさっき泉田を囲っていた婦警が素直に応援の言葉をかけている姿が思い浮かんだ。
しかし、泉田と涼子の付き合いの長さは伊達じゃなかった。
泉田にはちゃんと涼子の応援が伝わっていたから、小さく笑った泉田は竹刀を地面から直立させて片膝を折る。
それはまるで女王を守るために戦地に向かう騎士のように
「善処しましょう」
ペコリと頭を下げて泉田は涼子に背を向けた。
そんな泉田を呆然と見送る涼子の頬が薄ら紅色に染まる。
(ずるい、あんなこと言うなんて)
一方、会場に向かう泉田も薄っすらと頬を染めていた。
(何してんだ、俺……会場の熱気に毒されたかな?)
柄でもない自分の行動に首を捻りながら泉田は竹刀をギュッと握りなおした。
END
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