薬師寺涼子の怪奇事件簿で泉田と涼子は恋人未満の関係です(上司と部下以上の雰囲気はある)。
概要
スポンサードリンク
「ん~、寒い寒い」
東京メトロの地上へ続く長い階段足早に歩くのは地味なスーツに身を包んだビジネスマン。そんなモノクロの世界を彩る赤は女性美の集大成のような見事な姿態を包むタイトなスーツだった。
カツカツカツ
モデルのような容姿をした涼子に周囲の男たちは鼻の下を伸ばし、古代ギリシャ神殿の柱のように女神の通り道に花道を作って立ち尽くす。そんな男たちの舐める様な視線など気にもかけず、涼子はその名前の通り涼しい顔で涼子は階段を昇って行った。
カツカツカツ
寒い冬はみんな厚着なので、ミニスカートで足がむき出しの涼子はとっても目立つ。それがこの日は良い結果を生んだ。
「警視?」
周囲の音なんて雑音として聞き流す涼子の耳に留まり、その足さえ止めさせたのは聞き慣れた低い声だった。勢いよくクルリと振り返れば、そこには真黒なロングコートに身を包んだ泉田が立っていた。
「おはようございます」、と挨拶をする泉田の腕に流れる様な動きで自分の腕を絡める。妬みと嫉み。周囲の、主に男たちの視線の集中砲火を浴びた泉田は居心地の悪さに数回身動ぎしたが、これに慣らされたので泉田は苦笑するだけ。一拍置いて受け入れさえする。
「よく私だって解かったわねぇ」
涼子は周囲など気にもとめず泉田を見上げながら嬉しそうに笑った。『この寒い日にそんな寒々しい恰好する人を他に知りません』なんて気の効かない答えは喉の奥にしまって
「その赤いコート、警視にお似合いだとおもってましたから」「ふむ」
『合格』と言わんばかりの涼子の満足そうな笑みに、慣れたなぁと泉田は苦笑する。
最初は訳のわからない、言うなれば宇宙人のような存在だった涼子。それがこの長くなりつつある付き合いのお陰で、何となく取扱い方法が分ってきていた。
泉田は歩きながら頭上を見上げ見慣れた東京メトロの青い看板を見て
「警視が地下鉄とは珍しいですね」
「忘れたの? いつもの車、昨日擦っちゃったじゃない」
「いや……忘れてなどいませんが」
『忘れられるわけがない』と言いたい気持ちと言葉はグッと飲み込む。昨夜街灯のない埠頭で繰り広げたカーチェイスを思い出した泉田の背を寒気が襲う。(よく無事だったものだと普段頼りにしていない神に図々しく感謝する。
「もちろん他にも車はあるけれど…近くの車庫にはこれって車が無くて。仕方なく地下鉄にしたの」
ハイ・ソサエティ(上流社会)の見本のような涼子の言葉に泉田は苦笑した。
「折角電車出来たんだから飲んで帰りたいわ。付き合って。最近行けていないあのバーが良いわ」
提案と命令が50:50でブレンドされた涼子の言葉に苦笑しながら泉田は頷く。いつも一人で歩く警視庁までの路を涼子と歩く。他愛のない会話を楽しむ子の雰囲気に、思いがけない今夜の約束に、なんとなく心躍る自分の理由や原因が分からず泉田が思わず首をかしげると
「泉田君、どうし……わっぷ!」「警視?」
突然言葉が途切れたから泉田は驚いて、隣の涼子を見てしばし固まり… 「…っ、ぷっ」と噴き出した。次の瞬間、泉田の脇を抜ける強い風が涼子の淡い色の短い髪をやや乱暴に巻き上げる。
「何なのよ!」
暴れる髪を両手で押さえて涼子が喚く。ついでとばかりに寒いと文句も言う。
(全く…)
泉田の目の前にいるのは大人の、それも極上の部類にはいる女性だというのに。なぜか泉田には涼子が少女のようにみえた。「う~」と呻きながらその両手で真っ赤になった耳を覆う少女のような仕草に微笑を誘われ
「警視」
強く右腕を引かれて「え?」と涼子が驚いた瞬間に視界いっぱいに広がったのは黒いコートの広い背中。突然風の音が途切れ、涼子の世界が無音になる。ただひとつ、泉田のコートが強い風にはためく音を除いて。
「大丈夫ですか?」
頭上から降ってきた泉田のクスクス笑う低い声に涼子はコクリと頷く。見上げた先には朝陽を受けて微笑む泉田。
「この時期、この交差点は強い横風が吹くんですよ」
立ち位置を変えた泉田は涼子だけを守る防風壁。黒いコートで涼子の細い身を守りながら、優しく微笑むみながら、泉田は涼子の乱れた髪を整える。
「ありがと」
泉田があまりに優しく笑うから、涼子は照れ臭くなって耳を覆う振りをして俯く。一方で泉田も、涼子の礼に驚いて黙り込む。ふたりの間に居心地の悪い沈黙が広がる。
「耳っ!!」
その気まずい空間をうち破ったのは涼子の、涼子らしからぬ喚き声。
「”みみ”?」
「耳っ!! 冷たくて痛いっ!!」
それはまるで子供のような文句。噴出した泉田はクスクス笑いながら巻いていたマフラーを外して
「どうぞ、お姫様」
いまの涼子は女王様というより幼いお姫様。泉田は湧き上がった出来心で長いグレーのマフラーを涼子の細い首にぐるぐるっと巻きつける。
「泉田君?」
男物のマフラーはとても長くて、幾重にも巻かれたマフラーに口を覆われた涼子の声はくぐもる。涼子は反応に困ったが、「さ、行きましょう」と少しだけ強引に腕を引かれたから、涼子は自分の腕を泉田の腕に添える。
「もう少し」
泉田の言葉に涼子は黙って頷きマフラーの塊に深く埋もれた
(”もう少し”…?)
涼子の目の前にはさっきも見た広い背中。
(”我慢しろ”? それとも…”甘えて良い”ってこと?……どっちでも良いか、温かいしさ)
涼子はその顔を泉田の腕に摺り寄せる。すりっと甘えた仕草をする涼子に気付き泉田も隣を見てまた笑った。
END
コメント