薬師寺涼子の怪奇事件簿の二次小説で、泉田と涼子は恋人同士です。
概要
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「陽性ですね」
白衣を着た医師のきっぱりした断言に泉田は肩を落とす。
なんの予兆もなく突然襲ってきた高熱。
巷ではインフルエンザが流行り出したと報道されていたことから半信半疑で検査を受けたら陽性だった。
『あら、羨ましい』
インフルエンザと診断された時点から就業規則により出勤停止。
24時間365日無休で治安を護る警察の一員としてこうでもなきゃ取得できない長めの連休。
申し訳ないという思いで上司に連絡をしたら「良かったわね」と言わんばかり。高熱でもうろうとしている頭ががっくりと項垂れる。
「他に言うことはないんですか?」
『特にないわね。どんなことを言って欲しいの?』
自分の非常識をものともせず堂々と言ってのける上司は誰の目にも羨ましく映るほどの美貌の持ち主である薬師寺涼子。
彼女が搭載した頭脳は優秀で東大ストレート合格、大学在学中に司法試験にも合格し、現在警察のキャリア街道まっしぐら。
美貌と頭脳、さらに天は彼女に三物目、あふれんばかりの財力も与えた。彼女は国内一の警備会社JACESの御令嬢で自身も大株主の1人、彼女にとって警察官としての給料なんてお小遣い以下の扱いだろう。
そんな彼女は自分の常識のなさ、非常識っぷりを一切臆さない。
薬師寺涼子が天下無敵なのは、その非常識さ、その謙虚のなさを隠す為ではないかと泉田は最近疑っている。
「お大事に、というのが良識です」
『病気の泉田君に何ができるのさ。うちでお大事にしてあげるわよ』
え?と驚く泉田の前に黒塗りの大きな車が停まる。
熱で意識が朦朧としていても体は反射的に動いて身構える。経験が経験、身に覚えがあるから咄嗟に『拉致』という単語が浮かんだが
「「ムッシュー」」
黒塗りの車から降りてきた馴染みある2人に泉田は警戒を解く。
彼女たちは薬師寺涼子専任のメイド。今日はいつものメイド服ではなく、クラシカルなナース服を着ていた。
『うちで療養しなさい、これは命令よ』
「自分の家に行きます。うつしたら申し訳ないですから」
『大丈夫。2人はとっくに予防接種受けているし、私がインフルエンザ菌ごときにやられるとおもう?』
『それにもう手遅れでしょ』とからかう様な甘い声音と軽いリップ音。
高熱でぼんやりした頭でもしっかりと昨夜の睦事が詳細に想い出せるのだから、男と言うのは…と泉田は自分に呆れた。
『少しは恋人らしいことさせなさいよ』
「食事はメイドたちにお願いするからな」
可愛くないわね、と楽しそうに笑った涼子は会議に戻るといって電話を切った。
「「サア、ドウゾ」」
「言葉に甘えてお邪魔するよ」
2人に招かれて車内に入れば流石高級車。適度に暖められた空気とふかふかの座席が泉田を包み込む。
ふっと気が緩んだ瞬間、泉田は自分の体から力が抜けたのが分かった。
(甘えてるな…誰かに看病してもらうなんて何年振りだっけ…アイツに看病してもらったことはあったかな)
ぼんやりとした考え事だったのに声になっていたらしい。
スゥッと寝入った泉田の顔をじっと見ていた2人のメイドは顔を見合わせて
「”アイツ”…って、ミ・レディじゃないよね?」
「前カノのことでも思い出したのかしら」
泉田の前カノの存在は涼子も知っているが、泉田は決して涼子の前でその恋人のことを話題にしたことはなかった(涼子から話題にしたことがあるが)。
臭わせることもなかった。
そんな泉田が涼子を敬愛している2人の前でそんな迂闊なことをするなんで異常事態。
2人のメイドはまた泉田の顔をジッと見ると、向かい合ってそれぞれの口元に人差し指を立てた。
「「”さわらぬ女神に祟りなし”、内緒、内緒、ね」」
耳を刺激した物音に泉田は目を開ける。
今まで何度か目が覚めたが、それも夢と現の境にいるようなぼんやりとした目覚め。しかし今回は脳がクリアだった。
(薬が効いたんだな)
インフルエンザには特効薬がある。薬が効けば体が楽になる点は風邪よりよほど扱いが楽。泉田はすっかり感覚が戻った体を起こすと、ベキベキッと音を立てながら軽く体を伸ばすと涼子が入ってきた。
「あら、起こしちゃった?」
「いや、自然と目が覚めた。いま何時?」
涼子の答えに思った以上に寝入っていたことを認識させられ、さすが後宮寝具と自分が寝ていた肌触りの良いリネンを撫でた。そんな泉田の傍で涼子の香りが強くなり、顔を上げた泉田の前髪をしなやかな手がかき上げる。
「すっかり下がったわね」
栗色の猫毛が額をかすった感触のあとに額に感じる冷たい肌の感触。至近距離にある涼子のキレイな顔に泉田は目を細める。
「おかげさまで。助かったよ、ありがとう」
そう言いながら泉田は手を伸ばし、体温を計るために屈みこんでいた涼子の体に腕を回して力いっぱい引っ張る。重心が前に傾いていたこともあるが、泉田相手ということであっさりと涼子は泉田に倒れ込み、それに押されるような形で泉田も寝具に倒れ込むと2人分の体重を受け止めた高級寝具が軋む。
「…泉田君?」
「しばらく…このままでいて欲しい」
「今日は甘えたさんね…珍しい」
そういって笑って、涼子は手つきで泉田の前髪を何度も梳く。その優しい鉄kに、その優しい目線に、似ていないのに涼子に自身の母親が重なる。
(…甘えた、か)
内心で笑って泉田はぎゅうっと涼子を強く抱きしめて、シルクのシャツの隙間から見える白い肌でできた胸元に顔を埋める。女性特有の柔らかさが泉田を包み込む。
「…泉田君?」
恋人同士だけれど性的な意味合いを感じない親密な触れ合い。初めてのことだったけれど、涼子のDNAの中にある母性本能が作動して胸元の泉田の頭部を優しく抱きしめる。
(…変な感じ)
普段の涼子は泉田の長い腕に抱きしめられている。胸に顔を埋めて心音を聞いているのはいつもは涼子の方だった。泉田はいつもこういう感じだったのか、と抱きしめる行為に違和感と幸福感を感じた。
特効薬という武器を所持していてもウイルスとの闘いは体力を消耗する。しばらくその状態でいると、涼子の耳に規則的な寝息が届いた。
「…これも一種の異常行動なのかしらね」
いつもの泉田は大人な対応が常。何を言っても、何をしても、余裕に見える大人の態度で涼子を甘く優しく包み込む。それが恋人のときの泉田なのに、いまはまるで少年のよう。インフルエンザの治療薬の副作用のおかげかと涼子は笑うと体を起こし、眠る泉田の隣に横になる。
「甘えん坊さんがいなくなるのは寂しいけど、よく寝て元気になってね」
今夜はずっとそばにいるから、と甘く囁いた涼子は泉田の無防備な額にキスをした。もぞっと泉田が動き、その腕の中に涼子を閉じ込める。甘えん坊の泉田が半分、いつもの大人な泉田が半分の状態。
「インフルエンザもいいものね…これから3日間楽しみだわ」
上司を脅すカードを数枚きって3日間の有休をとった自分をほめながら、涼子は笑いながら目を閉じた。
END
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